フーチャ
for piano and strings composed by Itaru Sakai 1996

 この作品は私の大学院の修士作品です。
 1996年2月14日大阪音楽大学のオペラハウスで演奏されました。
 大学院の学生だった頃に訪れた沖永良部島での思い出が詰っています。
 以下の文章は演奏の際、曲に添えて提出されたレポートより。


私は、昨年(1995年)の夏、旅行で沖永良部島に行ってきた。鹿児島からプロ
ペラ機で2時間もかかるこの離島は、私を非日常への世界へと導いてくれた。周囲5
5.8キロメートルの海岸はどこも美しく、珊瑚に砕け散る波が生みだす光と音の様
々な変化は、私に時間が流れているということを忘れさせてくれた。とりわけ、長い
年月荒波に侵食されてできた巨大な洞窟「フーチャ」のダイナミックな景観は、改め
て私に自然のすばらしさを認識させてくれた。この時私は、このすばらしい自然を音
に表すことができたら、と漠然と考えていた。

そんなことを考えていたとき、この島でピアノの演奏をする機会があった。会場は
小学校の音楽室で、空調設備はなく窓が開いていた。演奏の間にその開いている窓か
ら、風の音、遠くの波の音が聞こえてくるのだが、それらのハーモニーは私を心地よ
くさせるとともにひとつの疑問を抱かせたのである。演奏がおわって、その窓から緩
やかな斜面いっぱいに広がる砂糖黍畑と、その向こうに見えるどこまでも青い海をみ
ながら、このような自然の音をヴァイオリンやピアノの音に移し替えることにどれほ
どの意味があるだろうかと考えてみたりもした。

島に滞在している間、「フーチャ」を幾度となく訪れた私は、あるときその巨大な
洞窟が、ダイナミックな様相とともに非常に繊細な面を持ち合わせていることに気付
いた。波の荒いときは岩の割れ目から数10メートルもの高さにも水しぶきを上げる
のだが、波が静まれば、その岩の割れ目からやわらかい光が差し込み、かすかに波打
つ水面に反射し、何とも言えない美しい映像を見せてくれるのである。この魅力ある
風景をどうにかして音で表したい、しかしこの映像を音楽によってどれほど再現でき
るのであろうか。そんなことを考えていたとき、島の人が次のようなことを教えてく
れた。「『フーチャ』というのはね、この地方(奄美)のことばで『大きな水と、大
きな陸が出会うところ』という意味なんだよ。」これを聞いたとき私は、ふたつの違
う質のものが出会い、新しいものを生みだすことのすばらしさを、初めて理解できた
ような気がして感動せずにはいられなかった。

このことを転機に私はただ単に自然を描写するのではなく、この自然との出会いに
よって私にもたらされた体験を、音楽として残しておきたいと考えるようになった。
このようなプロセスを経て作曲されたのがこの作品である。ここで実際にこの曲を作
る段階で私が考えていたこと(それはそのままこの曲の特徴になるかもしれないが)
をいくつか挙げておきたい。

(1)編成について

ふたつの違う質のものの出会い、ということをつよく意識していた私は、そのふた
つのものにピアノと弦楽合奏を当てはめてみた。しかしこれは具体的にピアノが海、
弦楽合奏が陸、(あるいはその逆)に当てはめているわけではない。弦楽をもちいた
作品を書くのは初めてであるが、これは作曲家としての技術を向上させなければなら
ない私に、自分自身が与えた課題である。

(2)響きについて

私はどうやら無調コンプレックスをもっているようである。幼い頃から機能和声に
基づく調性音楽の洗礼を受けてきた私にとって、無調の響きというものが受け入れら
れずにいるのは確かである。しかし私はそれを否定するつもりはまったくないし、表
現の手段として私のことばのひとつに加えたいと思っている。そのことに近づくため
に、この曲では「異なる調に属するふたつの和音を同時に使用する」ことによって、
新しい響きを作り出そうとした。これも「ふたつの違う質のものの出会い」というコ
ンセプトに基づいているかもしれない。

(3)形式について

この作品は文学的なストーリーをもっているわけではなく、また時間とともに刻一
刻と移り替わる自然の様相を記述的に示したものでもない。楽曲を構成する素材とし
て、波の音や風の音が聞こえてくるかもしれないが、それはあくまでも作曲技術上の
ひとつの手段としてそれを用いているにすぎない。しかし、そのことがこの作品を生
み出すきっかけの表れであることをも否定するつもりはまったくない。むしろ自分の
メッセージを聴衆に伝えるためには、それは重要なことだと考えている。この作品は
3部形式で書かれている。「再会のよろこび」から生まれたヨーロッパでもっとも伝
統のあるこの形式を用いたのは、単純ではあるが、「出会いのよろこび」を知ったと
きの自分自身を、この曲によって再現しようとしている私にとって、もっともふさわ
しい方法だと考えたからである。

 [曲の概要]
 編成:ヴァイオリン6・ヴィオラ2・チェロ2・コントラバス1・ピアノ
 演奏所要時間:約15分

 曲全体は大きく6つの部分に分けることが出来るでしょう。
1.弦楽器の刻む不規則なリズム。ピアノの急速に下降するパッセージで曲は開始さ
れます。雄大な海。波頭の崩れる音。
2.ピアノのソロ。波が岩に砕け散る様子。
3.夜の波打ち際で。すっと音も無く膝の近くまで波に包まれたことって有りません
か?4.夢の中で。もし海の精がいるならばこんな感じ?
5.嵐。様々な風が吹き荒れます。
6.嵐が去って。岩の間からさし込んだ光が微かに揺れる水面に反射してきらきらと
輝きます。最後は穏やかな嬰ハ長調の和音の中に包み込まれて曲は終わります。

[曲目一覧へ] [トップページへ]


Itaru Sakai
Last Update : 2002.7.7
First Release : 1997.4.28